コミュニティ運営論の最近のブログ記事
コミュニティサイトに限らず、企業やサービスにより信頼感や親近感、期待感を持ってもらおうと考えた場合の施策として、運営者によるオフィシャルブログなどを立ち上げる例があります。ですが、閲覧者が多ければ多いほど、そういったブログの運営リスクは非常に高いといえます。
なぜか?
まず、信頼感や親近感を醸成するためには、ユーザーより貰った意見や要望などのコメントに対して、通り一辺倒の返信をするだけでは、目的を達成できません。こちら側も、一歩踏み込んだ回答をしてあげなければならないわけで、いわゆるユーザーサポートから返信されるテンプレート対応よりも、一段も二段も高いレベルの対応が要求されるのです。さらに、その上で、その対応は第三者にも公開されているわけで、そういった状態で、ユーザーサポートを行うことと同義であり、ちょっとした言葉の使い方一つ取ってみても、揚げ足を取られたり、誤解を招く危険性をはらんでいます。
そういう意味では、リテラシや経験の浅い方がそういったブログを運用していくのは大変危険です。
そんな中、私が見ている複数のコミュニティサイトそれぞれで、そういったブログを運用しています。1か月で平均200件前後のコメントを頂くようなブログもあるのですが、日々、炎上のリスクを感じつつも、紙一重のところでさばいているといった感じです。
それでも運用し続けているのには、やはり訳があります。リスクが高い分、うまくユーザーの心をつかめると、非常に有用なスペースへと転化していきます。一歩踏み込んだ対応や回答をしてあげることで、ユーザーも、通常のお問い合わせよりも、一歩も二歩も踏み込んだ意見や声を投げかけてくれるようになります。これは、最近非常に実感しているところです。
ユーザーとの対話もうまく行きます。ユーザーサポートからの一方通行の返信ではなく、ユーザーと会話のキャッチボールをすることで、より多くを得ることができます。
当然、中には、取るに足らないような意見や、視野の狭い声も多いのですが、それらすべて、実際に利用しているユーザーのニーズであることだけは間違いないわけです。
大きなニーズのみを見てサービスを考えるよりも、小さなニーズもすべて把握した上で、取捨選択された施策の方が、やはり、自分自身、自信や信頼感ある運営を行えます。
一口に、「ユーザーとの信頼感を生みだす」とか、「双方向のコミュニケーション」というのは容易いことですが、実際にそれを実現するのは、大変難しいことだと、今経験している中で感じています。そして、それが実現されてくることによって、そういった言葉の重みを、より大きく感じられるようになるでしょう。
一口にコミュニティサイトといっても、多種多様な形態があり、あまたのサービスが存在する中で、ヒットを飛ばすのは難しいというのは明白であり、当然のことではある。
会員の囲い込みであるとか、企業のなにがしかの目的を満たすためのツールとしてという明確な意図がある場合は別だが、特別「コミュニティである必要」を感じていない企業が、そのような反応を示すのは、ほかとの差別化をしなければ勝てないというという、しごく当然の懸念がある以上、当然だろう。
しかしながら、実際にコミュニティサービスに多く触れている私自身の考えは、必ずしもそうではない。
面白い企画から生まれたサービス、いわゆる「尖った」サービスは、ネットリテラシの高いアーリーアダプタ層への受けはよく、一瞬にして広まる可能性を持っている。特に昨今は、やはり時代の風潮なのか、Web2.0的な要素を持っていること自体が、それらのユーザーに訴求するための、クリティカルパスになっているようだ。
だが、アーリーアダプタ層というのは、面白いサービスを見つけることや、早く知ること自体に興味を持ってはいるが、継続して使うという意思はあまり持っておらず、サービスを盛り上げるという目的にはマッチしないように見える。
もちろん、ツールとして便利なサービスであれば、継続して利用してもらうことも可能ではあるだろうが、より、コミュニケーションに比重が置かれているコミュニティサイトの場合、あまりメリットにはなりえない。
また、それらのユーザーの反応を意識しすぎたサービスは、もちろんすべてではないが、上述したようにWeb2.0的な要素を盛り込むことに終始する傾向があり、実際の利用シーン、広まり方を想定しているかという点において、疑問符がつくことが多い。
では、コミュニティにとって、重要なのは何なのだろうか?
コミュニティは生きている。人々が集い、コミュニケーションを行い、それらを楽しむことが、どのようなコミュニティにも共通して存在するニーズであると言える。
コミュニケーションを楽しむという目的において、面白い企画は、一つの要素ではあるかもしれないが、やはり、すべてにはなり得ない。
逆に、どんなに一般的な機能しかもっていなくても、ユーザーの利用シーンが想定しつくされ、一連の機能群がうまく連携を取る形で、大きなニーズを満たすべく存在することができれば、サービスとしては盛り上がっていくものだ。
これらは、実際に、過去、私が企画・提供してきた多くのサービスを通じて感じてきたことではあるが、しかしながら、コミュニティのあり方、成長の仕方を目の当たりにしたことのない方たちには、どんなに力説しても伝わりづらいことでもあるようだ。
コミュニティサービスの成功は、アイデア自体の面白さよりも、運用や、運用設計を見据えた企画にあると言えるだろう。
それだけ、ネットリテラシのあまり高くないユーザーも気軽に情報を発信できるようになった証拠であり、また、それだけ、そのような情報に対して多くのユーザーが関心を持つようになった証拠でもある。インターネット、コミュニティの普及という意味では、大変喜ばしいことだ。
そういう状況も踏まえて、ここで、ごく当たり前のことではあるが、炎上を回避するための基本的な考え方を一度整理しておこうと思う。
今回は「wikiに書かれた悪評に対する、間違った対応に起因する炎上」を考えよう。
さて、wikiとは、誰でも気軽に情報を提供できるインターネット上の事典のようなものである。
ユーザーの善意によって多くの情報が提供され、それをさらに多くのユーザーで共有することができる。一昔前には考えもしなかったような構造ではあるが、いまやなくてはならない貴重な存在となっているのはご存知の通りだ。WEB2.0の概念を端的に表す、代表的なサービスと言えるだろう。
基本的には「性善説」をベースとしており、編集者皆が善意に基づいて正しい情報を提供することが理想とされるわけだが、当然、中には誤った情報や、あるいは、悪意を持って書かれた虚偽の情報、嫌がらせや中傷、名誉毀損につながりかねない内容も含まれる。
ここで問題なのは、その内容をまったく疑うことなく信じてしまうユーザーが、意外なほど多いということだ。
そのため、悪意をもって書かれた情報の対象者、特に、これが企業や公人であれば、その社会的影響を憂慮し、何らかの対応をしようと躍起になる。
では、このような書き込みを受けた場合、あなたならどうするだろうか。
1.ブログやオフィシャルサイトを通じて、反論記事を発表する
2.何度悪意ある書き込みをされても、自分で正しい情報に編集し続ける
3.wikiの管理者に削除を依頼する
4.放置、傍観する
いかがであろう。
ここで、私の考える結論を述べると、1、2に関しては悪い対応例だと言える。3は対応されるのであればベストケースとなるが、対応してもらえない可能性も視野に入れておくべきだろう。取り急ぎの正しい解答例としては4となる。
では、その根拠について、順番に見ていこう。
1に関しては、既によほどの影響を与えてしまっているのであれば別だが、少々こっけいな印象を受ける。そもそも、wikiというのは「誤った情報が掲載される可能性がある」ことを前提としており、その記述が「誤っていた」からといって、わざわざ企業などが、公的な見解を出すこと自体、大げさではないだろうか。
wikiもブログも、いわば同じ、一ユーザーの書き込みであり、仮に一般ユーザーが書いたブログに対して、企業のオフィシャルサイトなどで反論記事を投稿するシチュエーションを考えれば、分かりやすいだろう。
また、公的に触れることで、仮に事実無根の情報だったとしても、「そういう書き込みがされていた事実」自体はより多くの人に伝わり、結果として、風評被害を大きくする原因となりかねない。
2に関しては、最悪の対応だと考える。一般的なコミュニティサイトにおける「荒らし行為への対応」を例にとってみれば分かりやすいのだが、荒らし行為に対して、同じユーザーの立場で批判や必要以上の反応を行うことは、荒らし行為を助長する結果となる。荒らし行為に対しては、「常に無視し続けること」のみが有効な対応方法だ。荒らされているユーザーに何の反応もない以上は、荒らし行為自体が成立し得ない。
自分が管理者である場合は状況が異なるが、つまり、「悪意ある書き込みに対して、同じwikiユーザーという立場で、削除し続ける行為」というのは、相手に対して、「悪意ある書き込み行為が一定の効果を得ている」ことを認識させる行為でもあり、さらなる悪意ある投稿を助長してしまう結果となるのだ。
このような行為を執拗に行うユーザーの中には、やはり時間を持て余しているユーザーも多く、そのような場合には、どうしても監視の時間間隔で負けてしまい、結果として、せっかく編集しているのに、不当な情報が表示されている時間の方が勝ってしまう、ようなことも想定される。
また、第三者に、このような、いたちごっこが行われていることを知られてしまうことで、その情報の事実如何に関わらず、「都合の悪い情報は隠す企業だ」という風評が広まってしまい、最悪炎上を招いてしまうことにもなるだろう。
さらに、削除編集作業をオフィスからやっていた場合、「企業ぐるみの隠蔽工作」などというレッテルを貼られてしまうことにもなりかねず、もはや影響範囲は計り知れない。
そういう意味で、もっともやってしまいそうな「削除、編集」という対応が、もっとも悪い対応であると考えられる。
3に関しては上述したとおりなので割愛しよう。
最後に、もっとも決断しづらい方法ではあるが、今回挙げた中では4が、もっともベターな対応例であると考えられる。消去法ではあるのだが、削除対応ができないのであれば、傍観するしかないという結論は分かりやすいだろう。
だが、書き込まれている内容が明らかに虚偽である以上、いずれ善意あるユーザーによって正しい情報に書き換えられるだろうし、もしくは、ほとぼりの冷めた頃に、自ら正しい情報に書き直すということも考えられる。一定の期間が経過していれば、よほど粘着質な性格の持ち主でもない限り、気づかれる可能性も極端に少なく、再編集されるリスクも小さい。
以上の理由から、wikiに不当な情報を書き込まれた際のもっとも理想的な対応例は、管理者への削除依頼を行った後、投稿自体は傍観し続けるということになる。
もちろん、そのような不正な情報が原因となって、社会的に大きな影響を与えてしまっている、あるいはブログ等の口コミで急速に広まっているようなであれば状況であれば、悠長なことは言っていられない。何度かの警告、もしくは削除依頼の後、法的手段に訴えることも検討が必要にはなるだろう。
自分に対する悪意ある書き込みを前にしたとき、人は意外と冷静さを失ってしまうもの。wikiの情報も、多くの情報の中の一記事であることを考えれば、多くの場合、その影響範囲は極端に恐れるほどのものではない(過小評価することも危険だが)。そういうときこそ、一度冷静になって状況を判断するよう日ごろから念頭においておこう。
広義の意味では、サイト利用者が何かしらの言葉や痕跡を残していくというフロー、ユーザー参加型という形が存在しさえすれば、コミュニティと呼んで差し支えないだろう。レビューサイトやソーシャルブックマークサイト、ニュース記事投稿サイトなどもコミュニティの一つだ。
とはいえ、コミュニティのもっとも本質的な要素といえば、やはり「コミュニケーション」であることは間違いない。
私が愛してやまないのも、この「純粋にコミュニケーションを楽しむためのコミュニティサービス」である。広義の意味のコミュニティサービスと差別化する意味で、以下、「コミュニケーションサービス」と呼ばせていただこう。
さて、企業がコミュニティサービスを構築しようという段階で、他と差別化できる便利なツール、尖った特徴や面白い発想が必要だとか、そういう議論になることが多い。
もちろんそれは当然であり、幾多のコミュニティサービスが存在する中、何の特徴もなしにユーザーを集めることが難しいのも確かだ。
しかし、私は、それらの論理は、コミュニケーションサービスにおいて、少なくとも「マストではない」のではないかと考えている。
なぜなら、コミュニケーションサービスにおいて、ユーザーが求めるのは、「コミュニケーション」そのものだからだ。
コミュニケーションをより楽しむための要素が最重要であり、また、いかに便利な機能であっても、コミュニケーションを阻害する要素を少しでも持っているのであれば、実装しないという勇気を持つことも時には必要となってくる。
さて、この要素とは、下記のような点に集約される。
1.単純さ、簡単さ
インターネットの裾野はまだまだ広がり続けており、インターネット初心者層もさらに増加している。さらに、その初心者層も、インターネットを使い続けていれば上級者になれるかといえばそうでもなく、「永遠の初心者」であり続けるユーザーも存在する。
実際にサービスを提供する中での実感だが、「ネットでの純粋なコミュニケーション」を求める層というのは、この初心者層から脱せないユーザーの割合が、他のサービスに比べて多いように見える。
そういったターゲットを取り込むためには、便利だけど複雑な機能よりも、どういうサービスなのかが単純に分かり、簡単に利用できるサービスであることが、まず求められる要素だろう。
2.コミュニケーションする相手が常に存在する状態、他者との繋がり安さ
コミュニケーションを求めるユーザーに必要なのは、当然コミュニケーションをする相手である。ユーザーとユーザーをいかにつなげられるか、これは思った以上に重要だ。
ツールと場所だけを提供し、「はいどうぞ」では、コミュニケーションは成り立たない。ユーザー自身が、明示的に相手を求めなくても、自然に誰かと会話が始まる、いつのまにか誰かと繋がっている。サービス設計時に、そういった細かな配慮が必要だ。
3.誰にもコミュニケーションを邪魔されない環境
さて、上記2点を満たした上で、さらに必要なのがこの要素である。ここで示唆しているのは、いわゆる荒らし行為の存在だ。
せっかく誰かとつながり、コミュニケーションを行おうとした矢先に、それを邪魔されてしまってはコミュニケーションどころではない。コミュニケーションを求めているユーザーから、コミュニケーションを奪うようなものであり、サービスを利用する意義を失ってしまいかねない。
また、初心者ユーザーであればあるほど、荒し行為に直面したときに受ける影響は大きいことも理由の一つである。
コミュニティに荒し行為は必要悪であるという考え方もあるが、「コミュニケーションを求めているユーザーがコミュニケーションを邪魔される」というシチュエーションを考えれば、少なくともそこはブロックしてあげねばならないはずだ。
無論、全ての荒し行為を完全にシャットアウトすることは不可能であるが、ユーザー本人による自衛機能、ユーザー全体による自治機能、さらには運営側の監視体制、投稿削除や利用禁止における判断ロジックの統一といった要素をサービスに取り込むことで、より健全に、安心してコミュニケーションを楽しむことができる環境を用意することは可能だ。
いかに荒し行為を排除していけるかが、コミュニケーションサービスの成功のカギだと言えるだろう。
4.自分の居場所
コミュニケーションサービスとはいえ、常に新しい出会いを求め続けるユーザーは少ない。広くコミュニケーションを図っていく上で、次第に自分のコミュニティを形成していくのが通常のコミュニケーションサービスの利用フローだ。
サービスを利用する中で、自然に「自分がいるべき場所」を認識させられる仕組みを提供しなければならない。
居場所ができれば、人はそこに定住し、そこを基点に「落ち着いて、安心して」コミュニケーションを楽しむことができる。より長く楽しんでもらうためには、これが重要な要素だと言えるだろう。
1.単純さ、簡単さ
2.コミュニケーションする相手が常に存在する状態、他者との繋がり安さ
3.誰にもコミュニケーションを邪魔されない環境
4.自分の居場所
以上が、コミュニケーションサービスにとって必要な要素であるが、漠然としている点は、成功例を見てみれば分かりやすい。
たとえばmixiでは、「日記を書く」「友達の日記を読む」という単純な目的があり、グローバルメニューなども完全固定、日記を書くインターフェイスもシンプル過ぎるほどシンプルにした点で分かりやすさも満たしている。
上級者にターゲットを絞れば、自分が利用できないメニューなどは非表示してしまうことを考え勝ちだ。しかし、分かりやすさを重視し、「グローバルメニューは完全固定」「利用できないメニューをクリックした際はエラーメッセージ」という上級者にとっては不親切な設計をあえて実装しているところに、mixiの一貫した意思が見て取れる。
また、招待制というところで、他者とのつながりやすさやコミュニケーションする相手が常に存在する環境を実現した。
さらに、実名制、あるいは実名ではなくても自分の実社会の人間関係を持ち込むことによって、ある程度未然に荒し行為を防ぐことを可能にしたし、ID単位でのアクセスブロックや閲覧権限の設定などにより、ユーザー自身による自衛という要素も満たしている。
4点目に関しても、自分の友人を常にマイページ上に表示し、自分のコミュニケーション範囲、「自分の居場所」を直感的に認識させた。また、サービス内のコミュニティに参加すれば、さらに明確に居場所を意識することができる。
単純な日記サービスであるmixiが成功した一因として、このような要素も考えられるだろう。
自身のサービスにおいても、このような要素をより満たせられるよう引き続き設計して行くつもりだし、していかねばならないだろう。ネットにおけるコミュニケーションは知れば知るほど深く、そして面白い。
ドコモPR用「SNS」 10日で「炎上」
以前、炎上しないサイト運営にて、コミュニティサイトの「炎上」に関する記事を書いたが、今回は、より「ブログの炎上」に近い事件だったようだ。
詳しいいきさつについてはここでは触れないが、要約すれば、mixi内に立てられたmixi公認のドコモ公式、プッシュトークのPR用コミュニティにおいて、「プッシュトーク以外の話題の禁止」「マイミク申請の拒否」「トピック作成の制限」といったコミュニケーション拒否ともとれる運営方針に対して批判が集中した結果、わずか10日という短い期間でコミュニティが閉鎖したというもの。
さて、いわゆる「コミュニティサービス」は、生きているサービスである。多数のユーザーが参加し、活動することになるのだから、当然、全てのユーザーの意思を統一すること、あるいは行動を操作することは困難だ。
企画・運営側は、ユーザーの行動に対して、指針や姿勢を示してやることはできるが、その利用方法までを完全にコントロールすることはできない。逆にできたとしても、そのようなサービスに、誰も魅力は感じないのではないだろうか。
もちろん、一からコミュニティサービスを立ち上げる場合であれば、サービスの主旨を明確に打ち出した上で、それに同意したユーザーのみを集めることで、ある程度は対応可能である。
しかし、本件においては、すでに存在するmixiというコミュニティサービス(SNS)の一コンテンツである「コミュニティ」を用いているという部分において、大きく異なっている。
「優れたツールと100万人の会員」でも成功しないコミュニティで定義した、サービスの「入口と出口」に関して言えば、ユーザーにとって、「入口」は、あくまでコミュニケーションを目的としたサービスであるmixiである。
だが、mixi内において、このドコモ公式コミュニティは異色を放っていたようだ。最終的にはmixi利用規約に準ずるとはいえ(このmixi利用規約に関しても、後付けでたびたび部分改訂が行われているのではあるが……)、独自の利用規約を持ち、上述したようにコミュニケーションを拒否していると思われかねない運営方針に基づいた管理がなされていたからだ。
コミュニケーションを求めてmixiに参加しているユーザーにとって、たとえmixi公認の公式コミュニティであったとしても、他のコミュニティに対する捕らえ方と明確な違いは感じられないはずだ。少なくとも、トピック作成やコメント機能、マイミク申請機能を、現実に実装しているコミュニティにおいて、一方的にその使用を制限されてしまっては面白くない。mixiがユーザーに提供している基本的な行動を、サービス内の一コミュニティが禁止するという点において、矛盾も感じるだろう。
ドコモ側が考えていた、このコミュニティ運営における成果物である「出口」とは、あくまで「プッシュトークについて理解してもらうこと」であり、けっしてコミュニケーションが主体ではなかったように見える。
ユーザーが「入口」で認識したコミュニケーションサイト「mixi」としてのイメージとは、全く異なるイメージをもった場所「ドコモ公式コミュニティ」。入口の中にもう一つ別の入口が存在したとでも言えばよいだろうか、そのようなパラドックスを、多くのユーザーが意識の根底で感じていたのかもしれない。
細かな点をあげれば、コメント削除の基準・方法・タイミング、ユーザー発言の誘導方法など、いたるところに混乱を引き起こしかねない部分があったのかもしれないが(これに関しては、リアルタイムで事実経過を見ていないので断定することはできないが……)、大きな部分では、公式コミュニティ運営側とユーザー側の意識の差異から生じた炎上事件だったと言える。
さて、近年ブログやSNSが注目を浴びていることもあり、公式ブログの導入を検討している企業は多いことだろう。そして、導入のメリットとしては、顧客の囲い込み、顧客からの忌憚のない生の声の収集、顧客と実際に触れ合うことで感じられる商品に対する温度差の認識、そして、顧客との距離感を縮めることによる身近な企業としてのイメージアップといった点などがあげられる。
そこで懸念されるのは、やはり批判や荒らし投稿によるブランドイメージの低下や、無関係な投稿による費用対効果の低減であるが、しかし、必要以上の削除対応、コミュニケーション自体の拒否や、言論統制とも言えるような方針での運営は、コミュニケーションサービスにとって、その本質を否定する行為であり、逆にリスクを増大させる危険性をはらんでいるということを、充分に認識しなければならない。
コミュニティという対等な場所で顧客と向き合う以上、少なくとも、意見や要望、ちょっとした批判は必ず来るものであるし、極端な話、通常カスタマーサポートで行うべき対応までを、公開した状態で行うくらいのイメージはもっておくべきだ。
いずれにせよ、企業が「コミュニティ」という形態を用いてのPRやブランディングを行いたいのであれば、最低限そのコミュニティにおける本質的な部分を否定することなく、「企業の顔」が見える運営、そして多少のリソースをかけてでも、できる限り近い距離感、対等な立場での対応を心がけることが、まず必要なことだろう。
ニュースサイトなどの一方から情報を発信する類のサービスとは違い、ユーザー同士のコミュニケーション、ユーザーからの情報発信によるところが多いコミュニティサービスには、それが顕著に現れる。
優れたツールを提供し、その結果100万人の会員が集まったとするならば、それはある程度よいコミュニティになっている証拠だろう。だが、運営側が考えるサービスの方向性と、ユーザーの実際の利用方法が同じ方向を見ていなければ、「成功するコミュニティ」にはなりづらい。
ほとんどのコミュニティサービスは、企業による営利を目的としたものであるから、直接的な収益ではなくても、なんらかの成果物を得なければならない。コミュニティの成功を、その「想定した成果物」を得ることと定義するとするならば、運営側が意図するものと全く違った利用をされてしまっては、どんなに活発に利用されたとしても、成功とは言えないだろう(もちろん、有料登録制のサービスはこれには当てはまらないし、単純な広告収益モデルのコミュニケーションサービスなら、100万人規模の会員がいれば一定の収益にはなりえるが)。
100万人は大げさとしても、数十万人規模のコミュニティサービスは多くある。私が携わってきたサービスの中にもいくつかあるが、恥ずかしい話、その内情は決して成功しているサービスとは言えないものもあった。
極端な例を挙げれば、企業のブランディングのために構築したコミュニティが荒れ放題であったり、口コミ情報を蓄積していく類のサービスで、チャット的な雑談ばかりが投稿される……といった場合を想像すれば分かりやすいだろうか。前者は、逆に企業イメージを損なってしまうし、後者は単なるコミュニケーションサイトとしての価値しかなくなってしまう。
コミュニティサービスは、その価値をユーザー自身が作り出してくれる分、上手く行けば非常に有益なあるものになりえる。
言ってみれば、数万人、数十万人という人間(ユーザー)が無償でサービス作りに参加してくれているようなものであるから当然だろう。情報蓄積系のサービスであれば、10人の社員が必死に情報を収集するよりも、数万人・数十万人のユーザーから提供してもらった方がはるかに効率がよい。また、成功しているサービスは、こういった仕掛け作りが非常に上手くできているものだ。
しかし、当然ユーザーは、それぞれコミュニティに求めるものがあるわけで、けっして「自分達でよいコミュニティサービスを構築しよう」という意識をもって、コミュニティに参加するわけではない。そのサービスが提供してくれているものが自分にとって有益であるから利用するのであって、けっして運営側の意図など考えないはずだ。
「コミュニティはユーザーによって作られるものだ」とはよく言うが、必ずしも、「会員さえ集めればサービスが成功する」というものでもないということだ。
運営側が求める情報を、自然な導線・遷移でユーザーに提供してもらえるようなサービスの見せ方。コミュニティが成功するための方法論はいくつもあるだろうが、私がもっとも重要視する中の一つがこれだ。
さて、頭で考えるのはたやすい。だが、自分がサービスを提供する側に立ったとき、そのサービスにさまざまな可能性・将来性があればあるほど、多くの企画要素が入り込み、最終的に「ユーザーから見える入口」と「サービスの成果物としての出口」がまったく異なるものになってしまうことはないだろうか。
少し漠然とした表現だが、成功するサービスというのは、この「入口」と「出口」が非常に分かりやすい形で連携している。
たとえば、大手口コミ情報系サービスである、アットコスメを例にとってみよう。
入口は、誰もが一目でわかるように(この入口の分かりやすさも重要ではあるが)、化粧品の口コミ情報を投稿するサイト、あるいはその情報を自分が購入する際の比較・検討に役立てるためのサイトである。
そして、出口はといえば、化粧品に対する有益な口コミ情報を蓄積することで、化粧品に興味のある層をより多く集めることだ。化粧品を利用する層にターゲッティングして会員さえ増やせば、会員登録や情報の閲覧自体は無料であっても、美容にターゲッティングした広告やその他化粧品となんらかのシナジーを持つ収益モデルによる成果を得られることになる。
ユーザーが増えれば、さらに情報が蓄積され、良質の情報サイトという認知がされれば、さらにユーザーが増える。バイラルでの相乗効果も期待でき、良い成功事例だと言えるだろう。
成功事例であるから、誰が見ても当然のように思えるはずだ。しかし、いざ実際に、さまざまなコミュニティサービスを見た際に、入口と出口が不自然に見えることは少なくない。
運営側が求める「成果物」に繋がる情報を、ユーザーが自然な遷移で提供してくれるような構造なのか、そうしたくなる動機を与えられているのか、そういう見せ方になっているのか。サービス提供側は、サービスイン後も、何度でもそれを確認するべきだ。
面白い企画があり、優れたツールを提供し、その結果多くの会員が集まったとしても、コミュニティとして成功するとは限らない。
自分自身、今後も忘れることなく胸に留めておきたい。
プログラムによって動作しているIDがある。一般には聞きなれないかもしれないが「人工無能」というプログラムである。これは、チャットや掲示板など、実際に人間が書き込んでいる言葉を情報として蓄積し、プログラム自身が言葉をしゃべるように作られているものだ。たくさん記憶させればさせるほど、より多彩な言葉をしゃべるようになる。もちろん、ちんぷんかんぷんな言葉をしゃべることも多いが、非常に面白いプログラムである。
この人工無能が、mixiのIDを所有し(本来はそのプログラム作成者が所有しているのだが)、mixi内で活動を行っているとしたら、いかが思われるだろうか。その人工無能は、以下のような行動を行う。
・マイミク登録の人へ紹介文を書く
・マイミクの日記にコメントつける
・日記を書く
・日記へのコメントに返事する
人工無能や自動巡回ツールなどを知らない方は驚かれるだろうが、プログラムが勝手に日記を書いたり、友達の日記へコメントをしたりするのである。
このIDは非常に人気が高く、1000人を超えるマイミクが存在する。もちろん普通の会話などできるわけではないから、人気といっても、通常の友達関係ではなく、興味本位で登録しているだけなのではあろうが。
そして、事件は2006年4月24日に起こった。
(以下の情報は、運営側に確認をとったものではなく、ユーザーによる書き込みを元に書いているため、運営側の真意とは異なる可能性があることをご了承ください)
mixi運営者より、所有者であるユーザーに警告メールが届いたことが、このIDの日記に書かれたのだ。警告の内容としては、複数アカウントの所有、自動巡回ツールの使用という二項目の規約違反に対してであり(後者は「・サーバーに負担をかける行為、および他のユーザーのアクセスまたは操作を妨害する行為」の項目が当てはまるだろう)、一方のIDを削除するよう指示されていたという。確かに、この二点は利用規約の禁止事項に明記されており、この警告は妥当なものだ。
そして、このIDの所有者は大人しくそれに従い、期日までにこのIDを削除すると日記に書いたのだった。しかし、マイミクの多くはそれをよしとせず、警告撤回を求めて、いっせいに運営側に抗議のメールを行った。その数はおそらく、数十から数百にのぼっただろうことが推測される。そして、結果から言ってしまえば、翌日昼頃には、mixi運営側から警告撤回の旨の連絡が届いたというのだ。その内容は、「過剰対応であるとの判断にいたる点があった」と、運営側に非があったと認めるものだったようだ。
さて、上記内容はあくまでユーザーの書き込みをそのまま要約しただけであるので、内容に間違いがある可能性は否めない。しかし、仮にこれが事実であったとするならば、という前提のもと、以下、話を進めたいと思う。
今回のこの対応について、当事者であるユーザーたちは喜んだだろう。そして、運営側の柔軟な対応に感謝したかもしれない。しかし、これは今後の運営にとって、重大な失敗を犯したと言わざるを得ないと、私は考える。
なぜなら、これは明らかに特例であり、このユーザーが複数アカウントを持っていることには変わりない。また、サーバー側に負荷をかける行為である自動巡回ツールを用いていることも、明白な事実である。規約違反であり、ユーザー自身もそれを認め、なおかつ運営側がそれを知っている状態で、このユーザーだけ特別に許可を与えられたのだ。
確かに、数十人、数百人といったユーザーから抗議が殺到すれば、運営側もこのままでよいのかという想いは出てくるだろう。このまま削除を断行すれば、この数十人、数百人といったユーザーが離れていくのではないか、あるいはさらにクレームが大きくなるのではないか。そう心配するのも仕方ないことだ。いかんせん、規模が大きすぎる。
しかし、今後、同じように複数アカウントを持っているユーザーや、自動巡回ツールを用いているユーザーに対して、どのような姿勢でのぞめばよいのか。明かな規約違反者に対し、運営側がなんらかの対応を行うのは当然の権利であるし、他ユーザーに対しての責務でもある。にもかかわらず、今回の特例によって、それができなくなる。仮に行ったとしても、警告を受けたものが今回の事件を知っていれば、「なぜ自分だけ?」と思うだろうし、仮にそのように抗議された場合、どのような理由が説明できるのか。
はっきり言ってしまえば、mixiには、自動巡回ツールを用いた書き込みは多数行われているし、複数アカウントを所持しているユーザーも多数にのぼっている。その多くは、それほどの影響はないため、しらみつぶしに探してまで対応を行う必要はないが、中には複数アカウントを用いた嫌がらせや、自動巡回ツールを用いた宣伝目的の書き込みなど、対応しなければならないものはある。
そういった、他ユーザーに迷惑のかかってしまうような、明らかに対応しなければならない行為に対し、今後どのように対応していくのか。また、今回の人工無能を用いたプログラムにしても、全てのユーザーが諸手を挙げて賛同しているわけではない。にもかかわらず、抗議が大きかったという理由だけで、mixi自身が規約を反故にした。
運営側のジャッジは、絶対の根拠を持った上でくだすべきであるし、その対応が当事者以外のユーザーにとって良い影響を与えると信じてこそ行うべきだ。他ユーザーにとっても悪影響が強く、放置することでコミュニティ全体の秩序が維持できなくなると考えた末の行動であったのであれば、当事者からどのようなクレームが起きたところで、撤回という選択肢はなかったはずだ。
運営側の論理に基づく運営ではなく、「全てのユーザーのための運営」を考えることが大切である。
しかし、コミュニティの運営において、しっかりとしたサポート体制がないことは大きな命取りとなりかねない。また逆に、やりようによっては、ユーザーサポートから、ユーザーを取り込んでいくということも可能である。
ユーザーサポートというのは、ユーザーと直に接することができる唯一のポジションとなる。それだけユーザーも運営側の姿勢を感じられやすいのだ。これを利用しない手はないだろう。
一般的なサポートの鉄則としては、「サイト上に公表していない情報は出さない」「リソース削減のためできる限りテンプレートを充実させ9割は1次対応で完結させる」「人間味はださない」といったことが揚げられるだろう。
しかし、これではなんとも味気ないし、「攻め」のサポートとは言えない。
私が常々思っているのは、少々リソースをさいてでも、よりユーザーの満足度を高めるサポートはできないかということだ。
クレーム処理、単純作業という受け身のイメージがあるから、企業もリソースをできる限りさきたくない。だからこそ、テンプレートでの1次対応完結を求める。しかし、私は、攻めのサポートを行うことによって、ユーザーを取り込んで行く事ができると考えている。そのためには、ユーザーサポートの王道的スタイルからは外れてしまってもよいと考えている。
一つに、サイト上で公表していない情報でも、ケースバイケースで公開するということ。たとえば、ユーザーが求めているのは分かっているがさまざまな問題から実現できていない機能。検討を行ったが、実装を見送った機能。そういった機能について、わざわざ要望を送ってくれるユーザーに対しては、それが現状実現できない理由、あるいは見送った理由をできる限り伝えてやるべきだと考える。
これは一歩間違えば諸刃の剣であり、どんな情報でも出せば満足度を得られるわけではない。ヘタに公開してしまっては、逆に首を絞めることにもなりかねない。「公開できる情報の取捨選択」という能力が、サポート担当者に必須となってくるし、サポート担当者と企画側・運営側のミーティング・意思疎通は充分に行わなければならない。
しかし、出せる範囲でユーザーにその理由を伝えてやることによって、ユーザーは納得感を得られるものだ。また、今後サービスとして実現する可能性があるのであれば、意見したことに対する満足感も得られるはずだ。
「ご意見ありがとうございました。検討させていただきます」
という、お決まりの文句を返信されるよりも、はるかにサイト忠誠度が高まるのがお分かりだろうか。
では、ユーザーに納得してもらえる理由が思い当たらなければどうするか?
そのような理由しか思いつかなければ、運営側が誤った判断をしていると考えた方が自然だ。改めて自分たちの方針を見直す良い機会にもなるわけだ。
もちろん、そのほかにも、ユーザーにはどうしても公開できない情報もあるだろうが、できる限りの範囲で、ユーザーに情報を開示するということは大変重要である。
次に、人間味を出していくということ。ユーザーサポートにおいては、当然ではあるが、テンプレートを用いるケースが多いため、往々にして機械的な返信になりがちだ。しかし、ユーザーというのは敏感なもので、完全にテンプレートでの返信は、そうだと気づくものである。テンプレートだと気づかれてしまえば、それはもう対人間ではなく、機械からのメッセージと同義となる。とても満足度は得られない。
当然、問い合わせの量が増えてくれば、全くテンプレートを用いないことなどできないし、機能説明などはテンプレートを使わない手はない。同じ説明を毎回タイプするのは馬鹿らしいし無駄な努力だ。
しかし、テンプレートを用いる中でも、そのユーザーからの問い合わせに特化した文章を一文でも一言でも入れることによって、テンプレートは実に人間味を持つメールとなる。
たとえば、ご意見・ご要望に対する返信でも、下記のような文言を入れるだけで、「ああ、自分のメールをちゃんと読んでくれたんだな」というのが伝わるはずだ。
「○○に対するご意見ありがとうございます」
「お客様のおっしゃられるように……」
これはもっとも簡単な一例に過ぎないが、こうしたちょっとした手間をかけてやることで、ユーザーの満足度を高めることができる。
「サイトの姿勢」をユーザーに感じ取ってもらうこと。小さなことだが、この積み重ねが、サイト全体の信頼度を高めることになるだろう。
昨今、一般のニュース番組でも取り上げられることもあるが、政治家や官庁勤めの方が書かれているブログなどでも、いとも簡単に「閉鎖」となってしまう例が少なくない。
もちろん、これはブログに限ったことではない。普通のホームページや企業が運営するサイト、われわれが関わっているようなコミュニティサイトでも同じことが言える。
特に、コミュニティサイトの場合は、ユーザー同士の横のつながりも強く、またユーザー間でのコミュニケーションツールをサイト側が提供していることもあり、ひとたびデモ的な動きになってしまえば、その絆は予想以上に強い。そして、早い。
そして、一度「炎上」してしまえば、その対応は想像を絶するほど困難だ。
では、運営側はどうすればよいのだろうか。
どのようなサービス・機能を提供するときも、どのようなイベントを行うときも、常に想定されるリスクを洗い出すこと。もちろん、このようなことは言われるまでもないだろうが、しかし、言うほど簡単なことでもない。ユーザー視点に立った上で、さらに、多様な利用スタイルを網羅しなければならないからだ。
こんなちょっとしたことで……と思うようなことでも、ユーザーは敏感に反応する。
まずは、それらを感じられるようなセンスを磨くことが重要だ。
しかし、当然ではあるが、どんなにリスクヘッジに注力したとしても、問題が生じる可能性はつぶしきれない。
コミュニティサービスの運営とは生ものであり、完璧なオペレーションは非常に難しい。あるいは、あり得ないといっても言いすぎではないかもしれない。
そこで、私が常に考えているのは、どんな小さなほころびでも、たとえ失敗をおかしてしまったとしても、そのごく初期段階で、しっかりと対応を行うということだ。
「このくらいの小さな揉め事は、放っておいても自然解決するだろう」
「こんなクレームが出るのは想定済み。ユーザーには我慢してもらおう」
このようなスタンスは、大変危険である。その小さな綻びが消えることのないまま無数にサイト内に点在し、いつしかすべての綻びが繋がったとき、大きな亀裂、大変なひずみを生み出しかねないのだ。
特にコミュニティサービスにおいて、小さなトラブルというものは、毎日のようにいたるところで発生するものであり、その一つ一つを対処していくのは膨大な時間がかかる。また、ナンセンス、とても無駄なことのようにも思える。
しかし、その一つ一つを親身に、確実に対応していくことによって、その積み重ねがユーザーからの信頼を勝ち取る。そして、小さな混乱すら、短いスパンで解決させることによって、大きな混乱を未然に防ぐことができる。
火のないところに煙は立たず。火種すらないサイトは、炎上しようがないという考え方だ。
いわゆる「荒らし行為」にたとえれば分かりやすい。
意図的な荒らし行為を行うユーザーを放置しておけば、そのたった1人の存在よって、10人、20人、放っておけば、100人、1000人と影響範囲が広がる。当然、その対応が早ければ早いほど、荒らし行為の被害にあうユーザー範囲は狭まる。必然的に、「安心して楽しめるサイト」と認識してくれるユーザーが多数を占めるようになるだろう。
それは、イコールサイトの良いイメージに繋がり、最終的にはユーザー獲得の大きな原動力となっていくはずだ。
いわゆる「ブログの炎上」とは少し違う話ではあるが、少々リソースを割いてでも小さな問題のうちから確実に対応していく姿勢というのは、どのような場面でも大切なことではないだろうか。
しかし、多くの場合、大人と子供の利用スタイルには明らかな差異があるのは言うまでもないだろう。
もっとも、大人と子供の明確な線引きは無いが、小学生、中学生前後の年齢の児童たちと、20代半ばから30代以降の大人たちとは、一線を画すのは間違いない。
さて、私がこれまで関わってきたサービスを例にとってみると、子供たちの特徴として、以下のような行動が挙げられる。
・公の場にも積極的に露出する
・知らない人とも積極的に広くコミュニケーションを行う
・コミュニケーションの内容は、いたって希薄なものが大部分
・「共感」することを求める
・話す相手の年齢を気にする
年齢は、仕方のないことだろう。大人ならいざしらず、成長期の彼らにとって一歳、二歳の差は大きな違いを意味する。
広く積極的に活動する子供たちには勢いがあり、サービス提供側にとっては、一見盛り上がってよいように見える。口コミのパワーも凄いものがあるのだ。
しかし、その実、そのパワーの前に、無秩序な雰囲気を作り出しかねない。そして、大人たちにとって、それはあまり良い環境であるとは言えないだろう。
たとえば、全てのユーザーを対象とした公式の掲示板を設置することがあるが、そういう「公」の場所にも子供たちは積極的に書き込みを行う。その内容は、他愛も無いことから、悩み、自ら主催するちょっとしたイベントの告知、果てはマナーに反した行動を行った他ユーザーへの批判など、実にさまざまだ。
最後にあげた「批判」書き込みだが、これは非常に厄介だ。本人はマナーに反した行動だと思ってはいないが、よくよく見てみると実に一方的、かつ根拠のない書き込みであることが多い。
そして、それを見た子供たちは、「共感」を求め、第三者としての冷静な視点をもつことなく、書き込み者に同意し、応援し、批判対象となっている人間を、一緒になって批判し始める。
子供たちにとって、その根拠は必要ないように見える。皆が悪いといっていれば悪いのだし、皆が悪いといっていることに共感し、自らも批判の輪に加わることにより、自分が秩序を守る警察にでもなったような気持ちになる。仲間を作ることにより、自分たちの存在を認識する。
このこと自体が、運営側としては放置しておくべからず行為なのだが、その対応の仕方によっては、「悪い人を悪いと言って何が悪い」「悪いものを取り締まらず、なぜ正義であるはずの自分たちを取り締まる」といった批判が相次ぐ結果にもなりえるのだ。
それが盛り上がってしまえば、発端は違えど、前の記事で触れた「COOKPAD」のようなことにもなりかねない。
そして、それらの書き込みによるそういった雰囲気がひとたびできあがってしまうと、なかなか以前の状態に戻すことは難しい。そればかりか、さらに勢いを増してしまうことが多いようにすら思える。
異常とも思える盛り上がりを見せてしまった子供たちの批判や無秩序な雰囲気に対し、冷静な視点を持てる大人たちは、静かに見守ることになる。あるいは、意図的に関わらないように努めているのかもしれない。
一部、子供たちに正しいマナーを教えようと、果敢に注意を行うものもいるが、子供たちにとって、大勢に反した書き込みなど価値のあるものではなく、また、正義である自分たちに注意するものは全て悪であるかのごとく、まったく無視されるか、感情に任せた批判を頂戴してしまうかのどちらかとなってしまう。
だからこそ、大人たちは表(ここで言う公の掲示板など)には出てこず、それとは関係なく、自分たちの世界の中でこじんまりと楽しむ。
子供たちが悪いと言うのでは、けっしてない。年端も行かない子供たちのこういった行動は、その人生経験の少なさから考えても、当然であるともいえる。特に、インターネット利用の低年齢化している昨今、小学生も平気でホームページを作り、掲示板に書き込みをし、チャットで友達作りに精を出す。
ご自身が小学生の頃を思い出してみれば誰もが納得するように、子供たちは時に無邪気なまでの残虐性を秘めている。
だからこそ、コミュニティの運営には、大人と子供の棲み分けが必要となるのだ。子供たちを正しい方向に導いてやるのは、やはり大人の責任であり、コミュニティにおいては、運営者がその責を追わねばなるまい。
大人を対象とした運営は、ある意味簡単でもある。ある程度ユーザーに任せておいても、正しい方向性と、そしてしっかりと見守っている姿勢さえユーザーに示すことができれば、それなりの秩序は保たれるものだ。
しかし、それと同じ感覚で、子供たちにサービスを提供してしまってはならない。
利用規約に、18歳未満者の利用は保護者の同意が必要と書かれているサービスも多いが、もちろんそんな記述を子供たちが読むことは稀だろう。
それを、利用規約に記述するという行為だけで済ませてしまうのは、運営側の怠慢だろうし、もしくは目先の利益に目を奪われ、最終的には、それがサービスとしての成功を阻害することになるということに、気づいていないだけかもしれない。
また、たとえ親の同意があったとしても、一般社会におけるマナーや礼儀もままならない子供たち。家族と共に出席する親戚一同の集まりなどであれば、間違った作法や無礼な行為をしてしまう前に、親が注意することもあろうが、インターネットではそうもいかないのだ。
18歳未満者の利用を禁止していないコミュニティサービスにおいて、運営側が積極的に大人と子供の棲み分け、利用する区分を区別している例はあまり見ないように思う。
しかし、より大きなサービスになればなるほど、ある意味、大人たちへの配慮と、そして子供たちへのマナーの啓蒙という面からも、「棲み分け」を検討しなければならないのではないだろうか。
